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『琴似神社』 北海道開拓の歴史、屯田兵の家が残る、地元の心のよりどころ。

 『琴似神社』(ことにじんじゃ)は、北海道の開拓150余年の歴史を感じられる神社。

琴似は、北海道の開拓に従事した屯田兵が一番最初に入植したところで、その家が今も神社の敷地内に残されており、遺徳をしのばせる『報徳神社』など、4社の境内外末社があります。

地下鉄東西線「琴似駅」から徒歩6分(400m)、JR琴似駅からは徒歩16分(1.1㎞)の場所にあり、住所は札幌市西区琴似1条7丁目1番30号。
駐車場あり。(正月元旦から7日までなど駐車禁止の期間あり)

ご祭神は、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受大神(とようけのおおかみ)
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
武早智雄神(たけはやちおのかみ)
土津霊神(はにつれいしん)

車通りの多い「道道276号/琴似・栄町通」に面していて、
鳥居と、鳥居の前の写真を撮ると、こんな感じ。




鳥居をくぐるとこんな感じ。


いや、なんか、ぼやけてないか?
オート機能なのに、ピンボケが撮れるという珍しい才能。
どんな優秀なカメラも、私が持つと、予想外の機能を発揮する。(笑)
(ピントが合う前のタイミングでシャッターを切るとこうなります)

 

右手には演舞場。


狛犬様は、全部で4体。 こちら入口ちかくの狛犬様。
毛が豊かで、表情も豊か。若さあふれる。

この毛量、実にうらやましい。

以前、琴似神社でサモエドという犬種の、雪男という白いフサフサの毛の犬が飼われていて、初詣の時に出迎えてくれる、撫でると子宝に恵まれると大人気でした。
人なつっこく誰とでも仲良くなれる性格、可愛がられて愛された雪男、今は一角に静かに眠っているそうです。

 手水舎は、不定期でお花が飾られて花手水になっているそうですが、
今回はお花はなく、色のついたガラス玉。 とても涼しげでした。
コロナ禍で使えないことも多かったので、シンプルに、手水で手を清められて、嬉しい気持ちになりました。


奥に進むと、もう一つの御神門と、狛犬様。
(この左手奥にお守りやおみくじなどが置いてある授与所があります。)

上の写真の向かって左側の狛犬様のアップ。 
社殿前の御神門に鎮座する風格の狛犬様。

右手の狛犬様も見つめていてくださいました。

 

御神門をくぐり、先に進むと、正面に、琴似神社の社殿。
風格のある日本の神社の趣き。

 

実はここで、三方向に道が分かれており、正面が琴似神社、向かって右手に『報徳神社』というもう一つの神社があり、左手には『御門山琴似天満宮』。

右手にある『報徳神社』。武早智雄神をお祀りし、また、北海道の開拓に尽力した屯田兵の二百四十柱、琴似から出征して戦死された方々の御霊が祀られているそうです。


左手には、『御門山琴似天満宮』があって、学問の神様 菅原道真公がまつられています。


菅原道真公は、平安時代の学者、政治家、文人であり、朝廷で活躍され、学問、書や和歌など多方面に秀でた方で、多くの尊敬を集め、今も学問の神様、天神様としてお祀りされています。

丑年でご遺言に、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」と遺され、
御遺骸を牛車でお運びし、途中で牛が座り込んで動かなくなった場所に埋葬し、その場所が、安楽寺、今の太宰府天満宮ということだそうです。

牛は神様のみ使いであるとされ、牛を大切にした菅原道真公をお祀りするところには牛の像が多くあります。
琴似天満宮にも、撫でると願い事が叶うという、撫で牛の像のブロンズ像があり、(写真右側 ↑ )
お参りすると、右すぐに牛の頭があって、撫でさせていただきました。
多くの人に撫でられて、緑のブロンズ像の牛の頭の部分の表面が磨かれ、金色に光っています。

境内には、「安全神社」もあります。

ということで、琴似神社には、4社の境内外末社があり、
『安全神社(あんぜんじんじゃ)』で、天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
『報徳神社(ほうとくじんじゃ)』で、大国魂神(おおくにたまのかみ)
『御門山琴似天満宮(みかどやまことにてんまんぐう)』で、菅原大神(すがわらおおかみ)
『祖霊殿(それいでん)』で、神社物故功労者
が、祀られている感じで、お参りする所が結構あります。

その他に、屯田兵が住んでいた家が今に残され、保存されています。(北海道指定文化財)
ただ、今回は、屯田兵屋(屯田兵の家)の入口の扉が施錠されていて、見学はできませんでした。

実は以前、見たことがあるのですが、ちょうどこの入口の板張り(建物の下のほう)のような木が使われた木造の建物です。

屯田兵(とんでんへい)とは、明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵士とその部隊で、1874年(明治7年)に制度が設けられ、1904年(明治37年)に廃止されました。

そんな屯田兵は、家族を連れて入植し、開拓などに従事します。

入植前に用意された家と未開拓の土地を割り当てられたそうで、
その割り当てられた一戸の屯田兵屋(とんでんへいおく)が今も境内に残されている形です。

札幌で最初に屯田兵が入植した琴似屯田兵村に明治7年(1874)に建てられた208戸の屯田兵用住宅のうちの1戸で、木造平屋建て、和室(8畳と4.5畳)、土間、板の間、トイレなどからなる、約17坪(約56.1平方メートル)の大きさの建物。
当時としては、良い方の住宅だったようです。

屯田兵は、最初に琴似に入植し、その後、山鼻・発寒・新琴似・篠路…というふうに入植していきました。

屯田兵の生活規則は厳しく、まさに兵隊。
『起床と就業の時間が定められ、村を遠く離れる際には上官への申告を要し、軍事訓練と農事のほかに、道路や水路などの開発工事、街路や特定建物の警備、災害救援に携わり、作物を育てる試験農場もあり、平時は徒歩憲兵に編制されるものと規定されていた(屯田兵例則』そうです。

 そんな北海道の開拓の歴史を感じられる神社。
社殿の前の御神門に入る前、向かって左手に授与所があり、御朱印がいただけます。

『琴似神社』と『御門山琴似天満宮』の2つの御朱印が拝受できます。
(初穂料は各300円。)

北海道の開拓がはじまったのは150余年前とのことですが、
厳しい冬の寒さや環境に耐え、また厳しい規則に耐えて、今の北海道を開いた方々に尊敬と感謝を感じながらのお参り。
「北海道」の開拓の歴史を感じる、琴似神社。

鳥居を一歩出ると、現在の北海道。
大きなアスファルトの通りの向いに、区役所や公共施設が立ち並び、多くの車が行きかっていました。